ようこそ、ウィリアムズバーグへ
アメリカ合衆国 バージニア州 ウィリアムズバーグ市

Governor's Palace

 ようこそ、ウィリアムズバーグへ!ここは18世紀の町を復元させた場所で、毎年世界各国から百万人以上もの観光客が訪れています。この歴史的な町には、1.5キロメートル以上にわたって88の現存する公共建築物、50の復元された主要建築物、90エーカーに及ぶ庭園と緑地が、植民地当時そのままの姿に再現されています。ここはまさに、アメリカ合衆国誕生以前からのアメリカ思想発祥の地として築かれた生きる歴史博物館です。

 バージニア州ウィリアムズバーグは、大英帝国の北米における最大で最も繁栄した植民地の首都でした。自由平等の思想・代議制政府の思想・正義公正の思想・社会に対する一個人の権利と義務の思想は、アメリカ合衆国誕生の何十年も前にこの地で芽生えました。皆さんがインターネットを通して、あるいは実際に当地を訪れることによって、あのトーマス・ジェファーソンによる『独立宣言』の中で「生命、自由、幸福を追求を求める権利は全ての人々に平等に与えられている」と謳われている民主主義と共和制の基本理念を、より深く理解していただけると思います。 

 ウィリアムズバーグは、植民地時代のアメリカの歴史の中で、重要な役割を果たしました。1699年から1780年まで、ウィリアムズバーグは英国領バージニアの首都でした。1776年5月以降、ウィリアムズバーグは新たに自治州となったバージニア州の首都として、東海岸から五大湖に及ぶ一大帝国の政治、社会、経済、文化の中心となりました。 そこは、英国からの独立を志す多くの指導者たちを政治的、イデオロギー的に育んだ場所だったのです。ご参考に、以下のような項目をお読みください。

アメリカの自由誕生

Patrick Henry and Thomas Jefferson

 1776年5月15日、議事堂で行われたバージニア集会で、バージニア独立決議案が可決されました。この歴史的文書は、植民地の英国からの独立を宣言し、フィラデルフィアにおける大陸会議への各代議員たちに全13植民地の独立を提起するよう指令しています。代議員リチャード・ヘンリー・リーはそれを受けて6月7日に決起、トーマス・ジェファーソン起草による独立宣言が1776年7月4日に採択されました。

 1776年6月、バージニア会議はバージニア権利宣言を採択しました。そこには、個人の自由と州政府の自治とが強調されています。この文書はアメリカ合衆国権利章典の基礎となっており、今日に至るまでアメリカ国民の基本的人権を守っています。当議会はさらにバージニア憲法を採択し、これは他の多くの州が模範とするところとなりました。

コロニアル・ウィリアムズバーグのウェブサイト

African Americans

 私たちのウェブサイトで、植民地時代のアメリカが歩んできた道のりについてさらに多くのことを知っていただければと思います。下記のような各ページにもアクセスすることができますが、このページ以外は英語となっておりますのでご了承ください。

 「調べる」(Explore & Learn)では、18世紀のウィリアムズバーグの住人たちと出会い、アメリカの初期の思想について学ぶことができます。又、当地の博物館、美術・装飾品コレクション、蔵書、庭園、特別研究プログラム、教育的資源などに関する情報を提供しています。

 「私たちについて」(About Us)では、コロニアル・ウィリアムズバーグの役割と、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアによるこの歴史的な町の復元事業についてお読みください。又、就職情報や博物館への寄付に関する情報もこのページにあります。私たちは私営の非営利財団で、寄贈者からの献金および入場料収入で運営しております。国や地元政府からの援助金は受けておりません。

 私たちの雑誌、本、ビデオテープ、カセットテープ、CDは、「出版刊行物」(Publications)のページに掲載されています。コロニアル・ウィリアムズバーグの商品は「買う」(Shop)のページでオンラインによりお買い求めいただけます。

 ぜひ米国バージニア州ウィリアムズバーグ市のコロニアル・ウィリアムズバーグを訪れてみてください。「訪ねる」(Visit)のページは、当地の史跡保存指定地区で体験できること、そして宿泊、ショッピング、お食事などについてご紹介しています。

 コロニアル・ウィリアムズバーグでは、ぜひとも植民地時代のアメリカをじかに体験し、二百年以上も前に自由を求めて戦った歴史について知っていただきたいと思います。この地で生まれた自由と平等の思想は“全ての人々のための、全ての時代のための”ものです。18世紀のアメリカへのタイムスリップをどうぞお楽しみください。